毒も薬も同じものだからね、と酷くやさしく言った人の目が、毒の泉の色をしていると僕は知っている。
 春を待ち侘ぶ冬、涸れもしないで清くある泉だ。
 その水は毒だから、何も棲めない。
 柿の渋、茶の渋、それから熱。
 薬を教える人は毒を識っている。
 伊賀崎くん、毒もつ人はいないよと言ったその人は、だんだんとヒトらしさが枯れて、涸れて、離れて、

            かれゆくものは

 薬を見つめる目は確かに毒をまんまんと湛えているのに、どうしてだろう、その微笑みはひどく人らしかった。
 どこかで見たような気がした。
 恋しい目と。
 そういう。





























 その質問をしたら、善法寺伊作先輩はきょとんとした。
「……浦風くんが言うからには、比喩的な意味で、だよね?」
 おれは頷く。こう聞いたのだ。毒をもつ人間はいますか、と。
「物理的な意味でもね、無くはないんだけど…先天的に、となるとまずいないね。比喩的になら、」
 先輩はくっくと笑った。
「身近にいるだろう。立花仙蔵が。ああいうのが毒のある人間だよ」
 おれは伊作先輩の目を見つめていた。孫兵はこの目が毒の泉だと言った。
 それよりも奈落のように、先輩の目は黒く深かった。
 そう言うと、先輩は、ぼく?とまた笑った。
 笑いを急におさめて、より深い目で言った。
「もしぼくに毒があるのなら、使うのは一度きり――そう、一度きりだよ」
 自分のいっさいを賭けて。
 心の動くように。
                  ひとたびの
 おれは深く納得した。
 ああ、確かに善法寺伊作先輩には毒がある。毒は、とても美しい。





















 少量の毒は薬になる。多量の薬は毒になる。
 保健委員としては「毒も薬も同じ」というのは、忘れてはいけない常識だ。
 藤内と孫兵の間で伊作先輩は「毒の人」で落ち着いたらしい。
 僕はちょっとむくれた。伊作先輩は保健委員で、僕の先輩だ。なんで僕に意見を聞かないんだ。
 (いなかったって? 何日も考えてたくせに!)
 ――とはいえ、僕の意見は「薬の人」だけれども、毒も薬も同じという保健委員の常識からすれば、僕たちの意見は一致している。
 でもねえ数馬、と夜の医務室で伊作先輩が言う。
「身体にとってはそれこそどちらも同じものじゃないかい」
 壊すにしろ、治すにしろ。先輩は微笑む。
「ということはね、ぼくが毒野郎でも薬野郎でも大した違いはないよ」
「じゃあ、そのままがいいです」
 僕は言った。先輩は湯のみを拭いているところだったけれど、とある一つの湯のみをぴん、と指ではじいた。
「このままで?」
 先輩は呟く。
「……まあ、保健委員だしね」
 僕は頷く。
                                  このままで
 藤内にも孫兵にも言っていないことがある。
 伊作先輩は一度きりの毒をとっくに使って、その毒は確かに効いたのだ。
 相手には薬だったし、確かに薬であるのにも間違いはない。
 毒の名前を僕は知っているけれど、口に出したならこのままではいられそうになかった。