聖らに散る花 

 綾部、タコ壺いっこ借りるよー、とまるで春みたいな声がした。
 わたしはタコ助を掘るのに忙しかったので返事をしなかった。
 しばらくして(主観だからもっと経っていたのかもしれない)お前また落ちたのか、と呆れを含んだ声に、ううん借りた、と答えるのを聞いた。
 底の地面を見つめるわたしの視界に、白い花びらがちらちらと降って来た。
 花見をしてたんだ、と穏やかな声。やがて花びらと共にはっきりと、声。
「綾部ありがとう。居心地良かったよ」
 花びらみたいな、声。
 わたしはタコ助を出てタコ左エ門の隣のタコ右衛門に入ってみた。
 見上げた花の影に、黒い何かが見えた気がする。



























 保健委員長の伊作先輩の部屋は用具委員長の食満先輩の部屋と同じわけだが、
 その伊作先輩の部屋を六年生の先輩方は「保健室」と呼んでいる、らしい。
 というか、七松先輩はそうおっしゃっている。
「保健室見て来るな! (いけいけどんどーん) んー今日は医務室だ!」
 ………実際われわれ体育委員が「保健室」に世話になったことはないが。

 夏の短い宵、細い月でも妙に明るい空の下、やむを得ず「保健室」の戸を叩いた。
 同室者ではない会話の相手を、きっと噂の人物なのだろうと問うと、伊作先輩は笑って言った。
「何言ってるの平。誓って、くせ者は医務室にしか出ないよ」

      誓言を破る

 ではあれは夏の影、月の幻なのだろう。
 闇に紛れる黒い影だ。そうなのだ。






























 春は明るく夏は短く、秋は深く冬は強く。
 恋の話かなと伊作君が言った。ぼくは跳ねる髪を愛でるように切っていた。
「斎藤、でも愛に季節は関係ないね」
「不滅だから?」
 しゃきん、と鋏が鳴った。少しの間。それから、伊作君が答える。
「そうあってほしいから」
 ばっさり切っちゃおうかな、なんて言うから慌てて止めた。長い方が似合うよ、絶対だよ。
「秋には似合うかな?」
 伊作君は少し笑って、真っ赤な紅葉を一枚、頭にかざしてみせた。
 あの紅葉はどこから来たんだろう。辺りを見回したぼくの目の端に、黒い影が過ぎった気がした。

不滅性の愛
























                               狭間の季節
 寒さのぬるむ直前の季節、いつも風邪を引く。

 僕の風邪はいつだって熱だし、この季節の風邪だと必ず高熱になる。
 そして医務室に何日かは横たわる羽目になる。
 この季節に新野先生は必ず一週間は出かける。
 すると、僕の看病はいつでも伊作先輩がすることになっている。
 そういえば、一年生からずっとだ。
 今なら保健委員長だから分からなくはない。
 けれども一年生の時から、この季節の医務室で、他の生徒を見かけない。
「ぼくは狭間の季節に強いんだ」
 だからだよ。けろりと答えを返されたから、僕の熱に浮いた頭は余計に混乱した。
 ぐるぐる回る思考が、確かに先輩は僕のこの風邪をもらわないな、という結論を出す。
「ほらもう寝なさい。早く治さないとユリコちゃんに会えないよ」
 薄暗くされた医務室のどこか陰から、黒い影が降り立ったような気がした。
 これも狭間の存在だから、伊作先輩も平気なのだろう。