伊作が誰を好きになろうが、おれは伊作が愛しくて大切で、
 伊作が幸せに過ごせるなら何でもするだろうと思っていた。何でもだ。
 だけど。
 伊作が好きになったのが、あいつでなければ良かったのに。
 あいつでなければ誰でも良かった。
 街の娘でも、くのたまでも、同級生でも、先生でも、まかり間違っておれの母親でも、誰でも良かった。良かったんだ。
 その目が、その声が、はっきり表してる。認めたくない。でもおれには分かってる。
 気づかせるのが怖くて、認めるのが恐ろしくて、問えない。
「あいつを殺してやりたい」

                                    確認を、どうか

 本気なんだなと、問えない。






































 伊作に「好きだよ」と言われた。
 「知ってる」と返した。
 い組に罵られた。「は組の阿呆夫婦」だと。

 伊作に「愛してる」と言った。
 「知ってるよ」と返された。
 ろ組は何だかにこやかにこちらを見ていたように思う。


かわらぬものを求めて


 決まりきった慣れたやり取りに、おれがどんなに救われたか、お前は知らない。






































              私の袖はとにかく濡れてしまう

 困った。
 伊作がおれの膝にしがみついて泣いている。
 腕にすがりついて、袖を引き絞って、身も世もなく泣いている。
 嗚咽がおれの心をしめつける。袖がぎゅうぎゅうと引かれている。
 この涙がおれゆえになら、どんなにか。

 なあ伊作、せめて袖を放してくれないか。
 おれは泣いてるお前をぎゅっとできない。


































 熱があんまり高いのに、おれが外を見たがるものだから、
 伊作は重い溜息をつくと、戸をほんの少しだけ開いて夜の情景を見せてくれた。
 戸にかかった伊作の手。闇から浮かんで白い。
 流れ込んだ冷気におれが息をぜいぜいと白くさせて、綺麗だなと呟くと、伊作は滴るような笑みを浮かべて言った。
 ねえ留。
「おまえがいくなら、ぼくもいくよ。そしたら君、困るだろう」


月光に似た雪の降る


 冷たい夜の戯言を戯言のままにするために、おれは明日の朝は意地でも目を開けて起きあがらねばならなかった。
































 毒も仕掛けも恋文も、何もないことを百万遍確認してからしぶしぶ渡したそれは、
 一年生ならば喜ぶかもしれないものだった。六年生の伊作は、普通に引いた。
 え、あ、ありがとう…?
 そんな困惑した顔で見ないでくれ。おれだってそんなものをお前に渡したくなんかない。
 ただ、預かったものだから。おれはお前に誠実でいたいから。
 おれが捨てといてやろうかと申し出ると、
 だめだよ貰いものだし、明らかに分かりやすい形だし、け、けっこう可愛く見えてきたし!と止められた。
 だってそれ、呪いの一つや二つ、かかってそうじゃないか。

                          何もなければ悩まない

































 ありえないほどにへこんだ時は、伊作に後ろからしがみつくことにしている。
 おれの方が体が大きいので、今では伊作はすっぽりおれの腕におさまる。
 伊作の背中に額を当てる。
 今はおれは硬い氷なのだ。苦しく固まった強ばった氷なのだ。
 だけど、伊作の存在があまりに安らぐので。
 ぽろりと零れたのは氷の溶ける一滴目だ。

泣きたくなんかない































                    噂は目を騒がせた

 医務室に入ったとたんに保健の一年に泣かれたので、伊作はすっかりおかんむりだ。
 なんであんなに目つき悪くして医務室に来る必要があるの、だって。
 お前のせいじゃないか。
 くせ者が医務室に出るから警戒したんだ!





























 五年になった春、伊作に扇をやった。
 伊作の好きな冬の草原。おれが特別に仕上げた扇。
 霞扇はもちろんのこと、打撃も斬撃も一撃なら止められる。一撃で後が変わる。
「忍具なんだからちゃんと使えよ」
「大事にしたいんだけどなぁ」
「使ってこそ道具だ。未練なら捨てろ」
「それはやだ」
 伊作に渡す道具には全部、おれは語りかけて約束させている。
 伊作の命を守れよ。守るよ。
 おれの手から生まれたものなら、そう誓え。

               約束は破られないと思おう

「お守りにするよ」
「だから使えって」































辛さはどこにも逃がさない

 泣いてすがって懇願したら、お前は一生おれの傍にいてくれるだろう。
 ただ、それでは違うのだ。
 神の童子を人にしたのはおれだ。
 人の心で笑うお前が、おれの幸せだ。
 お前の心はお前のものだ。それでいいんだ。伊作、それで。だけど。
 ああ。
 おれはお前のそんな激情を見たことがない。



































 蝉の声が雨のように降り注ぐ中で、おれの最愛はお前だと、告げたことがある。
 小さな子どもの妬みを経て、お前の最愛はおれだと知った。
 嬉しかった。恐ろしかった。
 おれはお前の恋心が欲しかった。
 そう思うのは夏のせいだ。乾いた夏のせいなのだ。
 あの戦場に、おれもいたならば。あるいは。

                       この季節が私を苛む