地獄の定義



 地獄の定義とは、愛するものがいない世界ということだそうだよ、と、
 顔は綺麗だが性格が毒虫な愛すべき父がわりと真剣に言って来たので、
 ぼくは留三郎がいない世界がどれほど味気ないものなのかを考えた。
 夏の一日のことだった。

     *

 そもそも愛するものの範囲がどうなっているのか謎だと気づいた。
 ぼくは留三郎を愛しているが、もちろん毒を孕んだ我が父上殿も愛している。
 ほとんど記憶にない母のことだって愛している。小平太や仙蔵や長次や文次郎のことも愛している。
 先生方や後輩のことも愛しているし、
 もっと言うならば戦場で行き遭う怪我人を、治療しているそのひと時は確かに愛しているし、
 傷口に涌く蛆の腐臭をも愛していると言えるだろう。
 夜の真ん中で大地に身を投げ出して、このこみあげる思いは多分愛だとしか呼べないだろうとも思ってみたりする。
 蝉の声は日暮れになっても衰えを知らぬげに響き渡る。これも愛が降り注ぐ音。
 愛、愛、愛とは何だろう?

 けれどまずは留三郎だった。
 留三郎がいない世界がどれだけ味気ないものなのかを考えたと思ったが、あれはきっと嘘だった。
 考え始めてすぐに、ぼくの頭は真っ白になって、何の想像もつかなくなったからだ。
 茫然としていると蝉の声が耳に入って、ぼくはそういえば考え事をしていたのだったと思い出した。
 留三郎のいない世界というものは、ぼくにとって想像もつかないものらしい。

 父に地獄は真っ白だったと言うと、はははと笑って何だい留かいと言った。どうしてわかったんだろう。
 恋すればわかるよと父は言って、ぼくの髪を梳いた。転がっていたからぐちゃぐちゃだ。
 蝉の声を存分に浴びたから、このぐちゃぐちゃの中に愛も詰まっているに違いない。
 愛もわからないのに、恋とか、余計に意味不明だ。
 頬をつついて父が言う。いさ、愛と恋が違うってのは、はっきりわかるもんなんだよ。多分ね。
 多分じゃはっきりとは言わない。多分。

 恋しいひとと最愛も違うもんだよと父は言う。
 わかりやすい違いがあるのと問えば、父は真面目くさった顔で言った。わかったら苦労しないね。
 わからないの。
 わからないけど確かに違うんだよ。
 じゃあ真っ白は。
 父は美しい顔にうつくしい微笑を浮かべた。
 真っ白は最愛だと思うよ。俺はそうだったね。俺はね。
 その凍りついたような微笑の中で父の目はわりと真剣だったので、
 ぼくは「ぼくの最愛のひとは留三郎」ということで手を打った。

   *

 ねえ留三郎、最愛って何だろう、と井戸の傍の留三郎に聞いてみた。
 やっぱり蝉が溺れるくらいに愛を降らしていて、その中で留三郎は何かを言いかけて、黙った。
 ぼくをじっと見つめて、それからくるりと井戸に向き直って水を汲んだ。
 頭から水を被って、水に濡れた目がこう言った。
「俺はおまえが最愛のひとだ」
 ぼくは蝉の声を忘れて真っ白になった。
 ぼくもそうだよ、ときっと言ったのだろう。留三郎は肩をすくめて、そりゃどうもと言った。

   *

 恋しいひとのいない世界は真っ白ではなかったので、留三郎が僕の「最愛」であることは間違いがないだろう。
 確かに恋と愛は違ったが、何が違うのかはよくわからない。
 蝉の声を聞くたびに僕は地獄の定義を思い出す。今では人間とはしぶといものだと思ったりもする。
 だって愛は増やせるからだ。
 あの定義が「最愛」か「恋しいひと」だったら僕は地獄を良く知っていることになるだろう。
 ふたつの地獄はまるで違うが、それを説明できるとは思わない。
 ただ僕の最愛は変わりがないようなのでそれでいいと思っている。
 夏がそうして過ぎていく。