キノコ鍋



 戦場跡を、紫色の忍装束の少年が歩いている。
「おぉーい…」
 時おり心細い声を上げるが、聞こえるのはごうと吹き抜けていく風と、そこかしこでくすぶる火の音ばかり。
 少年は、仲間とはぐれて一人ぼっちだった。同室のあいつの不運が伝染ったのかもしれない。少年は溜息をついた。
 足元を見、地上を見て、そこに転がる人に目を留める。
(生きてる……手当て、されてる…じゃあ)
 少年は周囲を見回し、また手当てをされている人を見つける。点々と倒れている、息のある人々。
 同室の不運…もとい、保健委員から聞いた。戦場で、敵味方関係なく手当てされているのを見つけたら――、
「あの、」
 少年は医者の背に声をかける。彼が、振り返る。
 ひ、と少年の口から悲鳴が漏れる。
「ばけもの、」
 少年の目の前で、それは口元の紅をゆっくりと拭った。


 ………
 …………心の傷になってなければ良いんですけど、と善法寺伊作は話をしめくくった。
「あーしょせんさん、それ毒キノコです」
「しょせんじゃない!諸泉だ!」
「すみません」
 のほほんとしたやり取りで、伊作と諸泉尊奈門はキノコを選り分けている。
 高坂陣内左衛門は、牛蒡を刻む手をふと止めて、この状況に違和感を感じない自分に少し呆れた。
「善法寺くん、そういうことばかりしてるから、組頭なんかに気に入られちゃうんだよ」
 小頭の山本陣内が、鍋を火にかけながら言った。
「はあ」
 ぼんやりした声に、尊奈門の声が被る。
「大体なんで血まみれなんだ。俺でも怖い」
「あー…珍しく怪我した瞬間を見た方だったんですが、毒剣の傷でしたので…」
 伊作の声は相変わらず呑気だ。出会った頃と何も変わらない。
 陣内左衛門は刻んだ牛蒡を鍋に入れると、伊作の手からキノコ籠を奪い取った。
「じんざさん、それ毒の方です」
「………向こうに置いておく」
 真っ直ぐ見詰めてくる漆黒の大きな瞳は少しつり気味で、猫のように綺麗な線を描いている。
 そう真っ直ぐ見られると、陣内左衛門はいつも言葉が喉に絡まる。
 呼び名を訂正できないのもそのためだ。「陣左」と、呼んでいいのは組頭だけなのだが。だが。
 立ち上がった陣内左衛門の目の前で、諸泉尊奈門は景気よくキノコを鍋にぶちこんで、ふっふっふと笑った。
「組頭ザマーミロ。浮かれてキノコばっか食ってたから報いを受けるんだ」
 おなかいたいうごけない、とごろんごろん転がっていた組頭が脳裏をよぎった。
「あんまり消化の良いモノじゃありませんからね…」
 帰る時お薬お願いしますね、と言った伊作は、ずいぶん穏やかな笑みを浮かべている。
 なんだかんだと古傷を看つづけたかいあって、最近、雑渡昆奈門は固形物が大分食べられるようになった。
 それはタソガレドキ忍者隊には周知の事実だ。
 陣内左衛門と尊奈門の溜息はぴったり同じタイミングで吐かれた。
 山本陣内は、烏帽子子と部下をちらりと見て苦笑した。
 双方、伊作絡みではよくこんな顔を見せる。『呆れ混じりのお兄ちゃん顔』を。
 自分は大人だから許してやろう、と言いたげな顔を向けられても意に介さず微笑んでいる伊作が、おそらく最もオトナだろう。


 タソガレドキ忍者隊はよく『善法寺』に来る。
 中立安全地帯、と忍びの間で言われる善法寺――四方を山に囲まれた、伊作の居館――は、言われる通りの中立の場だ。
 領地内ではどんな争いも休戦になる。忍びであろうと、武将であろうと、はたまた親の仇が目の前であっても。
 中立安全地帯。それが暗黙の了解として受け取られるようになるまでには、それなりの年月と経験とが必要だった。
 『善法寺』のことを知った時、大いに笑ったのがタソガレドキ忍者隊である。
 それは多分に呆れを含んでいたが、称賛も少なからず含まれた笑いだった。
 出会った時の信念を変わらず貫いた伊作へ対する、奇妙な憧れのような称賛。
 荒唐無稽な信念と行動だった。けれど伊作はそれをやり遂げた。
 そして今も続けている。確かな実力をもって。


 ほどよく煮えた鍋にさっと醤油を垂らすと、香ばしい匂いがたちのぼる。
「器を出すか」
「そうですね、六つお願いします」
「六つ? 四つで良いんじゃないか?」
「え、でもいる人には食べてほし、」
 伊作の声が突然途切れる。風が巻き起こる。
 山本陣内は鍋に蓋をして、高坂陣内左衛門は五つ目の器に手をかけたまま、ちらりと視線を投げた。
「あ」
「―――ッ!」
 いささか間の抜けた伊作の声と共に、その場に黒い人影が二つ増えた。
 ぴくりともせず横たわる者と、棒手裏剣を肩から生やしてもがき苦しむ者と。
「貸し一つ」
 諸泉尊奈門がにやりと笑うと、伊作は鍋代ですよと言って隅にあった木箱を手に取った。
「山本さん、そこの包帯取って下さい」
「手伝おうか」
「鍋をお願いします」
「高坂、とりあえず五つ持ってこい」
「あ!? 諸泉さんどうして毒剣にしたんです!泡吹いてるじゃないですか!」
 ―――可哀想に。
 暗殺者の片割れには、そこまでの記憶しかない。

 甲斐甲斐しく手当てにいそしむ伊作の後ろ姿を見て、諸泉尊奈門は何とも言い難い気分になる。
「矛盾してるよな」
 ぼそ、と呟いたのは高坂陣内左衛門だった。
「基準が違うんだろう。元から」
 鍋を火から下ろしながら、山本陣内が言い添えた。
 尊奈門は小さく溜息をつくと、完璧に死んでいるもうひとりの男の身体を持ち上げた。
「尊、優しいな」
「早く飯食いたいでしょうが。戻って来たら墓作りですよ、あいつ」
 ああ、と微妙な顔で同意して、陣内左衛門も男の足を持った。
「穴掘って」
「飯食って」
「湯、入って…」
「泊まってくか?」
 山本の声に二人揃って振り返る。
「「帰ります!!」」
 山本は、ははと笑って鍋の蓋をちらっと開けた。


 善法寺伊作の戦闘スタイルは一言に尽きる。一撃必殺。
 文字通り必殺だ。何故そうなったのかは聞かなくても分かるし、聞きたくもなかった。
 しかしそれがあの学園にいた当時からなのか、そうでないのかは、諸泉尊奈門には知るよしもないことだ。
 変わったのか、変わっていないのか。
「気付いてないんだろうな」
 物思いに耽りながら掘った穴に、男を入れるべく持ち上げた時、陣内左衛門がぽつりと言った。
「何がです」
「こいつ、自分が死んだことにさ」
 言われて見れば、男の死に顔はただ眠っているように奇妙に安らかで、尊奈門はぞっとして、性急に穴を埋め出した。
「何だ、尊は怖がりだな」
 からかう先輩を睨みつけて尊奈門は怒鳴った。
「腹が減ったんです!」


「ばけもの!!」
 甲高い声と共に、尊奈門と陣内左衛門の前を通りぬけて森へ消えたのは、手厚く手当てをされていた暗殺者のようだった。
 戸口の向こうでは善法寺伊作が、困ったような笑みで立っていた。
 森のざわめきはとうにおさまった。いつもの夜だ。
「中立なんて、――ばけものでなきゃやってられません」
 その目を覗くまいと、尊奈門は目を閉じて頷いた。
「確かに」
 陣内左衛門が呆れた声で、早く食うぞ、と言った。

「あ、墓、ありがとうございます」
「……湯、貸せよ」
「ええ勿論。……泊まっていきます?」
「「帰る」」