2 山本陣内の二度目の訪問は、妙に温い風の吹く真昼のことだった。 陽射しが焼けつくように強い、そのくせ陰は凍える寒さ。 「山本は追い返されるのかァ」 縁側を歩んでいると唐突に声が飛ぶ。陣内はぎくりと立ち止まる。 「組頭」 縁側のすぐ横でじっと動かない頭。そんな年でもないのに真っ白な髪を結わずに流して、 蟻だか何だかを見つめてこちらを見ようとしないのは、タソガレドキ忍組頭だった。 「まさか、追い返されたんですか」 つとめて冷静な声で陣内は問うた。組頭はひょいと顔を上げて陣内を見ると、呑気な声で答えた。 「されそうになった。雑渡は大した仔犬を飼ってるなァ」 陣内は大きくゆっくりと瞬きをした。 「幼いだけで、犬ではありません」 「稚い火熊にも噛みつかれそうになった」 「あれとて、もはや熊ではありません」 組頭は、ひや、と唇を曲げた。 「隼も鷲も、羽が燃えれば囀るしかないんだがなァ」 陣内も唇を曲げた。ただし下に。 「狼はそれでも走ります」 は、は、は、と哄笑が響いた。組頭はずいぶん機嫌の良い顔で立ちあがると、笑い続けたまま去って行った。 陣内はしばし唇を曲げたまま立ち尽くしていたが、まもなく歩きだした。 正面から行ったのに、組頭に仔犬扱いされた小さな姿は見えず、陣内は眉をひそめる。 警戒というわけではないが、音もなくするりと室に入り、―――絶句した。 鈍色の、緑に曇る空。金と銀で豪華に、けれどもどこか荒涼と描かれた冬の草と露。 温い風が目の前のそれを揺らし、陣内は一瞬の自失から立ち直る。 「っ、小頭」 呼びかけると、冬の情景の打掛がべろりとめくられる。 「二度目だよ。小頭はお前」 「代理です」 「やれやれ」 昆奈門の顔が打掛の向こうに引っこんだのを見て、陣内は動いた。 「どうしてここに、これがあるんですか」 蒲団に戻らせた昆奈門の前にきちんと座って陣内が尋ねると、昆奈門はううんと唸った。 「そろそろ来ると思ったから、かな」 「………わたしが、ですか」 昆奈門は答えなかった。ただ少し、首をかしげて言った。 「考えてみたんだが、どうやらもう私は、あの人といた時間よりあの人といない時間の方が長いらしい」 陣内は息を飲んだ。昆奈門が続ける。 「だから“いつか”が来たんだろう。陣内――話してくれるかい」 温い風が吹き抜けていった。 陣内は打掛に目をやり、きゅっと唇を結ぶと昆奈門を見た。 「―――小頭は、遺言を残されませんでした。ただ、“見たものを見たように、聞いたものを聞いたように”と」 昆奈門は泣きそうな顔をしているように見えた。 「あなたは知りたがらなかった。わたしの見たものを見たくないと言った。聞いたものを聞きたくないと言った。昆奈門さま、」 「狼は囀らないよ。走る。だから、そうだろうと思った」 急きこんだ声に遮られて陣内は黙った。 「でも」 焼けた肌と覆う包帯と、それらすべてを突き抜けて心が叫ぶような声だった。 「私は言葉がほしいんだ」 「昆奈門さま」 「言葉は水みたいなものだ。言葉がほしいんだ。陣内、私は親父の最期をお前の言葉で聞きたいんだ」 「昆奈門さま、」 陣内は弾かれたように昆奈門に近づいた。肩に触れて、覆い被さって、その瞼を掌で覆った。とめどなく涙が溢れてきた。 「あ、ああ、あ」 「……陣内」 「ああ、昆、おまえ、昆、どうして、そんな、どうして、」 陣内は自分が十四年前に戻った気がした。 「なんで、なんでそんな、乾いて、なんで、」 昆奈門はかわいい弟分だった。その弟の父を自分が奪うだなんて、その弟を自分が悲しませるだなんて、あっていいはずがなかった。 「傷つくのはおれのはずだったのに!おまえは何も知らないでよかったのに!」 悲しみは他人のものまで背負えるものではない。 それを良く知っていても、陣内は苦しかった。昆奈門の心の飢えに、乾きに、今ようやく気づいたことが許せなかった。 どうして、どうしてと繰り返す陣内は、すがるように守るように昆奈門を抱きしめている。 その波打つ背に、そっと包帯だらけの腕が回る。 「火に近づきすぎたんだよ……近づきすぎた。水が要るんだ」 聞こえているかはわからなかったが、覆われた掌の下で、どちらの目もしっかり開いて、昆奈門はもう一度言った。 「水が、要るんだ」 陣内は泣き続けている。 涙が止まったら、昆奈門に話をするだろうことはわかっていた。 そして言葉は昆奈門を潤しはしないだろうことも。 ← → 戻 |